EXHIBITIONS
近藤恵介・冨井大裕「人かもしれない——なんとなくクラシカル」
- Information
- Works
- DATE
- 2025-10-10 [Fri] - 2025-11-08 [Sat]
- OPEN TIME
- 11:00-18:00[Tue-Sat]
- CLOSE DAY
- Sun, Mon, National holidays
今回の近藤恵介と冨井大裕による二人展「人かもしれない——なんとなくクラシカル」については、ギャラリーが説明を重ねるよりも、本展企画者・冨井大裕による企画書、ならびに両作家それぞれのステートメントをご覧いただくのが最も端的であると考えます。以下に冨井大裕による「展覧会について」をそのまま掲載いたしますので、ぜひご一読ください。
本展がアートの魅力と面白さを感じていただける場となれば幸いです。
―展覧会について―
近藤恵介と冨井大裕の共作による展覧会「あっけなく明快な絵画と彫刻、続いているわからない絵画と彫刻」(川崎市市民ミュージアム、LOKO GALLERY、2023年)の記録集の出版に際して、二人の著者近影を本人の写真ではなく互いが制作した肖像(冨井による近藤の彫刻、近藤による冨井の絵画)で掲載することにした。何となくの思いつきでしかないものだったが、その後、近藤は個展で肖像画を展開することになり、冨井も肖像ではないが自身が「B面」と呼ぶ、彫刻に接近する作品を発表した。存命する/実在した人物を造形することに全くといっていいほど縁遠かった二人が、いま肖像を気にしているのはどういうことだろう。少なくとも、発表されるものが「人に見える作品」になったとしても簡単な具象回帰ではないと断言したい。本展は、世間からはそう思われずとも日本画と彫刻を勝手に背負ってきた二人の、その技法への抽象的な眼差しを推進するための挑戦である。「ならば、個展でやればよい」という意見も聞こえてきそうだが、恐る恐る二人展にしているところも肖像に対する作家の敬意の表れと温かい目でご高覧頂きたい。これは半分冗談だが、2010年から共作を続けてきた二人による初の「普通の二人展」である。長年のタッグパートナーと初のシングル戦を行うようなものだ。様子見になるか、激しい攻防となるか。
冨井大裕
⚫︎トークイベント①「クラシカルな制作」:10月18日(土)15:00-17:00
近藤恵介、冨井大裕、森啓輔(千葉市美術館 学芸員)
⚫︎ オープニングレセプション:10月18日(土)トークイベント① 終了後
※ 上記の開催は終了いたしました。
⚫︎トークイベント②「設営と撤収のエクリチュール」:11月16日(日)15:00-17:00 ※会期終了後
近藤恵介、冨井大裕、保井智貴(彫刻家)
近藤恵介|かもしれない
冨井大裕|みることはクラシカル
林卓行|舞台に上げられて
近藤恵介
「新古典主義」
大正末から昭和初期にかけての成熟期日本画の作風を指す呼称として「新古典主義」というものがある。小林古径・安田靫彦などの作品に代表される、厳格な線描を絵画構造の基礎に据え、明るい彩色を施し、広がりのある余白を有する調和のとれた画面のあり方は、日本画の新たな局面であり、到達点であった。
「新古典主義」という言葉は、美術史家が絵画の動向を整理し、説明するために用いた経緯があり、画家たちが自称したものではない。事後的に名付けられた呼称と、それが指す絵画の動向は必ずしも一致せず、必然的にズレが生じる。
また、この呼称の使用を巡っては、研究者の間でも賛否が分かれる。「新」が何を指しているのかが不明瞭であり、「古典」も定位された対象があるわけではなく、また「主義」と呼べるような一貫性にも乏しいことがその理由である。そもそも、「新古典主義」は西洋由来の芸術思潮を指す用語の流用であるため、それなりの妥当性はあるものの、随分と場当たり的な名付けなのである。それでも、「新古典主義」の語の曖昧さは、それゆえに、大雑把に対象を捉えるための用語として優れ、便利で抽象的な言葉として共有されてきた経緯がある。
「新-古典-主義」を読み替える
居心地が悪そうに並ぶ「新-古典-主義」の言葉の連なりはどこかよそよそしく、わずかに振動しているようでもある。iPhoneのホーム画面を長押しすると、グリッド状に整列したアプリのアイコンが小刻みにふるえ、再配置が促されるのだが、そんな感じである。振動状態にある複合語はひとつの明確な意味を結ばず、どこか曖昧に、意味を流動的なままに保持する。「新-古典-主義」は名指すことの本来的な不可能性を体現しながら、次に読み替えられるときを待つ。
「新古典主義」の画家たちは線を重要視したが、彼らの引く線——「鉄線描」とも言われるその肥瘦のない描線は、無表情で、抽象性を湛えている。画中に配された線と線は、図像としての意味で結ばれているというより、線同士の緊張関係によって結ばれているため、画面には張力がみなぎり、かえって静かな印象を受ける。一見して静謐なその画面を凝視し玩味すると、線は振幅し、描き替えの可能性を示す。
冨井さんの肖像画を古典とする
冨井さんの肖像画を描いたのは2022年のこと。2人展の図録のための著者近影を、お互いに描き合った(冨井さんは塑像だった)。2015年にニューヨークで撮った冨井さんの写真を見ながら、2022年当時の冨井さんを重ねて描いた。あっという間に描いたその肖像画は、冨井さんから抽象された線で構成されてはいるが、全然似ていないという声も耳にした(似ていると思うけど)。では、この絵に描かれたのは誰か?
今回の展覧会では、冨井さんかもしれない人を描いた肖像画を模写することから始めてみようと思う。模写とは、元の絵を規範とする——つまり古典とすることに他ならないし、古典は常に描き替えられるからこそ古典なのである。
絵ができたら、iPhoneで写真を撮って、そのまま冨井さんに送る。
2025年6月23日
冨井大裕
みることが問題なのだ。何を、どのような方法で、どのくらいの時間/距離から、どのような場所/立場/状況からみるか。何をみているのか、みたのか。このことをわかりたくて作品をつくっているが、いまだにわからない。
みる(た)ことを正確に現すことは無理だと思うし、それくらいが丁度良いのかもしれない。私はつくるサイドでみていた作品を鑑賞サイドからもみることのできる状況にいるが、そこでまたみる(た)ことの不正確、不誠実さがはじまる。私はこの状況にある種の健全さを感じつつ、些かモラトリアムな感じをうけることにヤバさも抱いている。どちらも持っていたい。制作には矛盾した感覚をまとめて保持する役割もあると思う。
このようなことへの関心は、大学で具象彫刻––文中では塑像による彫刻に限定する––を勉強していた頃からはじまっていたのかもしれない。いや、実は「かもしれない」ではなく「である」と自覚していたのだが、だからどうなんだということであって、つまりはビビっている。
具象彫刻は面白い。共有され得る方法があり、同じ対象をみて、つくっているはずなのに違うものができる。これを方法や技術の習得に目的を限定すると、違いは習熟度の優劣となってしまって面白くない。勿論、方法を学び、修練することは重要だ、対話できる世界が広がる。方法や技術は従うものではなく、付き合うものだろう。同じではないが、ただ違うわけでもない。この微妙な感覚を、つくる側と鑑賞する側が等しく直感できることに具象彫刻の意義があると思う。前後左右、振り向けば人間は存在する。人間と具象彫刻の––みる(た)ことを巡る––しつこくてややこしいクラシカルな関係は続くのだ。
私が具象彫刻から離れたスタイルで制作をしているのは、それと付かず離れずの距離、ヒットアンドアウェイで関係していたかったからだが、ここにきてその関係を濃いものしたいと思うようになった。どのような濃さになるかは問うところではない。私の仕事のこれまでとこれからを考えるためにも「一度だけ」お付き合いしたいのだ。人の頭部(首像)と向き合いたい、全身ではなく頭部。もし、頭部が抽象的な実感を伴った何か––建築物や宇宙船のような––になったら、それは人でも彫刻でもない、そうでありながら違う何か––空間そのもの、問いがカタチになったもの––にならないだろうか。
ここに記したことは思案や願いといったレベルで落ち着くはずだった。それなのに2022年、近藤さんとお互いの肖像を制作したことから話が進んだ。どうしよう。
2025年7月13日
林卓行
日本画を起点に制作する近藤と、彫刻を起点とする冨井のふたりによるコラボレーションは今回、「古典」あるいは「古典主義」を拠り所にするという。以前の拙論で示したように*、前回のふたりの試みは瞬時的な「線」が取り持ったものだとすれば、そこから「古典」への展開にさして驚くところはない。ヴェルフリン以来の美術史研究では、「古典」の特性のひとつは「線的」であることとされるからだ。
だが今回の「古典」をめぐる思惑は、近藤と冨井でいくぶん食い違っている。近藤は彼がある種の標本として模写する、一群の日本画家たちの作品をそのことばに重ね合わせ、冨井は同じことばで具象彫刻、とくに西洋彫刻の伝統の一端を担う、人間の頭部の像を思い描いている。
同床異夢のようではある。だがそうしたズレに媒介されてこそ、コラボレーションの妙は発揮される。
出品予定だという作品も見た。ふたりの作品のどちらにも、2023年のこの場所での展示以降に示された、それぞれの制作の展開とそこからの転換がうかがわれる。近藤は2023年のギャラリーαMで見せたインスタレーションへの展開を、一点の絵画上の諸層や表裏に集約し、冨井は2024年の慶應アートセンターで見せた石膏による造形を、線描的な構築物から量感のある塑像へと転換している。前回のようにふたりの作品が物理的に合体することはむずかしそうだ。
しばらく個別に見られた夢は、ふたたびこの場所でどのように出会うのか。ふたつのパターンを予想することができる。ひとつは近年のピエール・ユイグやヤン・ヴォー、あるいはアリ・シェリといったアーティストたちの試みる、頭部の像をその重要なキャラクターとして用いるインスタレーション(ユイグの場合、その頭部は能面に覆われていたり[Human Mask, 2014]、蜂の巣に覆われていたりする[Untilled (Liegender Frauenakt), 2012]が)。こちらは古典というよりは古代の神話的な場面を観客に想起させる。
いっぽう、近藤と冨井のコラボレーションがここLOKO GALLERYでの展示で行われることを考えれば、もうひとつ予想できるパターンは、幻惑的な空間、あるいはそれこそ西洋の古典演劇に見られる舞台のような空間が立ちあがることだ。奥行きは浅く、天井は極端に高い。展示空間は吹き抜けを介して上階のフロアにつながっていて、その各所に絵画あるいは彫刻として現れるいくつかの頭部の像を起点とした、さまざまな装置が立ち上がる。像も装置も、なにかを積極的に記述したり説明したりしないという意味で抽象化されているが、そのぶんその視覚的な形式によってその場を訪れたひとの動勢を規定する。ひとはだれに言われずとも、顔とおぼしき面に正対してみようとするだろう。あるいは近藤の画面を支えるグリッドはわたしたちの視線を壁面の縦横に滑らせ、冨井の彫刻の各所に刻まれた切子面は、わたしたちの視線を鋭く斜め奥へと逸らすだろう。
その場所は舞台である。ただしそれはあの「イマーシヴ=没入的」な、あるいは悪名高い「シアトリカル=劇場的」(マイケル・フリード)なインスタレーションのように、そこに載ったわたしたち鑑賞者を主役や主体にしてくれるようなものでは、たぶんない(舞台=ステージは劇場=シアターと同じではない)。かといって、ふだん絵画や彫刻を見るときのように、安穏とした傍観者にしてくれるものでもない。わたしたちは、遠くの幻として見ていたはずの舞台にいつのまにか上げられ、そこで作品たちと同じペルソナ=位格を持つなにものかとして、個々の作品に対峙しなければならない。頭像たちが見ている。
*以下の拙論を参照:「Between the Lines 近藤恵介と冨井大裕の共同制作について 」(近藤恵介 冨井大裕『あっけなく明快な絵画と彫刻、続いているわからない絵画と彫刻』、HeHe、2023年所収)
林 卓行 Takayuki Hayashi
美術批評、作品論。近年の寄稿に「既製品、拾得物、日用品──〈レディメイド〉あるいは「できあがった彫刻」たち」(冨井・藤井・山本編『わからない彫刻:みる編』、武蔵野美術大学出版局、2024 年)。翻訳にゴームリー+ゲイフォード『彫刻の歴史』( 石崎尚との共訳、東京書籍、2021 年 )。東京藝術大学芸術学科教授。
プロフィール
1981 福岡県生まれ
2007 東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻卒業
個展
2024「絵画の練習」佐賀大学美術館(佐賀)
2023「開発の再開発 vol.2 近藤恵介|さわれない手、100年前の声」gallery αM(東京)
2022「絵画の手と手」LOKO GALLERY(東京)
2017-2020 連続展「卓上の絵画」MA2 Gallery(東京)
2013-2014 連続展「12ヶ月のための絵画」MA2 Gallery(東京)
2008「project N 34 近藤恵介」東京オペラシティアートギャラリー(東京)
グループ展
2025 近藤恵介・冨井大裕「人かもしれない——なんとなくクラシカル」LOKO GALLERY(東京)
2023「響きあうアート —美の拡がり、美術の拡がり—」佐賀大学美術館(佐賀)
2023「そこ もの こと」MA2 Gallery(東京)
2022 近藤恵介・冨井大裕「あっけなく明快な絵画と彫刻、続いているわからない絵画と彫刻」川崎市市民ミュージアム(Webサイト内「the 3rd Area of “C”―3つめのミュージアム」)LOKO GALLERY(東京)
2021「所在―游芸」kenakian (佐賀)
2019「佐賀の近代日本画」佐賀大学美術館(佐賀)
2019 近藤恵介・古川日出男「、譚」LOKO GALLERY(東京)
2019「VOCA展2019 現代美術の展望─新しい平面の作家たち」上野の森美術館(東京)
2018「絵画の現在」府中市美術館(東京)*木村彩子との共作
2017「引込線2017」旧所沢市立第2学校給食センター(埼玉)
2016 近藤恵介・古川日出男「ダンダンダン。タンタンタン。」LOKO GALLERY(東京)
2013 近藤恵介・冨井大裕「あっけない絵画、明快な彫刻<再展示>」川崎市市民ミュージアム(神奈川)
2009「Re:Membering—Next of Japan」Alternative Space LOOP / Doosan Gallery(ソウル、韓国)
作品集
2014『12ヶ月のための絵画』(HeHe)
2014 近藤恵介・冨井大裕『あっけなく明快な絵画と彫刻、続いているわからない絵画と彫刻』 (HeHe)
論文
2024「「さわれない手、100年前の声」を記録する」(佐賀大学芸術地域デザイン学部研究論文集 第8巻第1号)
2023「「絵画の手と手」を記録する」(佐賀大学芸術地域デザイン学部研究論文集 第7巻第1号)
2021「卓上の絵画、線の振幅」(佐賀大学芸術地域デザイン学部研究論文集 第4号
装画・挿絵
2020-2023 文学ムック『ことばと』(書肆侃侃房)
プロフィール
1973 新潟県生まれ
1999 武蔵野美術大学大学院造形研究科彫刻コース修了
2024「PRIZE for LEADING CHARACTER 2024」DSF CULTIVATION AWARD 受賞
個展
2024「SHOW-CASE PROJECT Extra-1 冨井大裕 モノコトの姿」慶應義塾大学アート・センター(東京)
2023 「今日の彫刻 ―トルソ、或いはチャーハン―」栃木県立美術館(栃木)
2023「みるための時間」新潟市美術館(新潟)
2021「線を重ねる」Yumiko Chiba Associates viewing room shinjuku(東京)
2020「斜めの彫刻」Yumiko Chiba Associates viewing room shinjuku(東京)
2020「紙屑と空間」Art Center Ongoing(東京)
2020「動き」switch point(東京)
2019「彫刻になるか?―ノート、箒、BAR」マツモトアートセンターGALLERY、awai art center、kulwa(長野)
2019「素描、彫刻」HIGURE 17-15cas(東京)
2019「泊まる彫刻」RC HOTEL京都八坂(京都)
2018「線を借りる」void+(東京)
2018「コンポジション ―モノが持つルール―」ATELIER MUJI(東京)
2017「スケッチ」代田橋 納戸/gallery DEN5(東京)
2017「像を結ぶ」Yumiko Chiba Associates viewing room shinjuku (東京)
グループ展
2025 近藤恵介・冨井大裕「人かもしれない——なんとなくクラシカル」LOKO GALLERY(東京)
2025「MOTコレクション 9つのプロフィール 1935→2025」東京都現代美術館(東京)
2025「アート・オブ・ザ・リアル 時代を超える美術―若冲からウォーホル、リヒターへ―」鳥取県立美術館(鳥取)
2025「しろい」The White(東京)
2024 戸田裕介・冨井大裕 二人展「彫刻の威力」武蔵野美術大学・図書館 (東京)
2024「TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション」東京国立近代美術館(東京)大阪中之島美術館(大阪)
2024「SCREWDRIVER 1st shot SCULPLAY」マツモトアートセンター(長野)
2024「エフェメラ:印刷物と表現」慶應義塾ミュージアム・コモンズ (東京)
2023 冨井大裕・堀内正和「拗らせるかたち」Yumiko Chiba Associates(東京)
2023 近藤恵介・冨井大裕 「あっけなく明快な絵画と彫刻、続いているわからない絵画と彫刻」LOKO GALLERY(東京)
2022「AGAIN-ST ルーツ/ツール 彫刻の虚材と教材」武蔵野美術大学 美術館・図書館(東京)
2021「シネマ展」代田橋納戸/ギャラリーDEN5(東京)
2020「Re construction 再構築」練馬区立美術館(東京)
2020 都美セレクション グループ展2020「描かれたプール、日焼けあとがついた」東京都美術館(東京)
2019「引込線/放射線 Absorption/Radiation」第19北斗ビル/ 所沢(埼玉)
2018「メルド彫刻の先の先」Maki Fine Arts(東京)
2017 アッセッブリッジ・ナゴヤ 2017「パノラマ庭園―タイムシークエンス―」名古屋港~築地口エリア一帯(愛知)
2017「引込線 2017」旧所沢市立第2学校給食センター(埼玉)
作品集
2011『Motohiro Tomii: works 2006-2010』中山真由美・冨井大裕
2013『5×14』冨井大裕・川村格夫
2015『the plurality and lightness』Yumiko Chiba Associates
2018『関係する|Interact』Rondade
2020『switch point/冨井大裕の10年』switch point
2023『みるための時間』水声社
2023『今日の彫刻』水声社
パブリックコレクション
東京都現代美術
川崎市市民ミュージアム(近藤恵介との共作)
新潟市美術館
東京国立近代美術館
練馬区立美術館
高松市美術館
Photographs by Dai Yanagiba
Motohiro Tomii《RV2501》2025, Plaster, 38×21×27 mm
Motohiro Tomii《RV2502》2025, Plaster, 65(H) mm
keisuke Kondo《Some Portraits 01》2025, Color on paper mounted on wooden frame, 75×47.6 mm
keisuke Kondo《Some Portraits 02》2025, Color on paper mounted on wooden frame, 149.9×115.3 mm
Motohiro Tomii《heads》2025, Plaster, 21.5×8×7 mm
右下|冨井大裕《モデル2512》2025, 陶 , 10.5×7.5×21 mm
Bottom left|keisuke Kondo《Statue of a certain man》2023, Color on paper * Quotation from Yasuda Yukihiko, “Fūrāi Sannin”, 29.2×21.8 mm
Bottom right|Motohiro Tomii《Model2512》2025, Pottery, 10.5×7.5×21 mm
Motohiro Tomii《RV2503》2018-25 , Plaster, 47.5×25×29 mm
Motohiro Tomii《StudyB》2018, Plaster, 48×17.5×22 mm
keisuke Kondo《Some Portraits 03》2025, Color on paper mounted on wooden frame, 53×53 mm
keisuke Kondo《Some Portraits 04》2025, Color on paper mounted on wooden frame, 53×53 mm
keisuke Kondo《Some Portraits 05》2025, Color on paper mounted on wooden frame, 53×53 mm
keisuke Kondo《A Painting of a Moment》2025, Color on paper(3 pieces)mounted on wooden frame, 18×53×10 mm*Stretcher size
Motohiro Tomii《Model2515》2025, Pottery, 11×3.5×4.5 mm
右|近藤恵介《冨井氏像》2023
Left|Tomii Motohiro, Mr. Kondo, 2023
Right|Kondo Keisuke, Portrait of Mr. Tomii, 2023
Motohiro Tomii・Keisuke Kondo, Exercise for Production, 2025