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青野文昭「それぞれの惑星とその住人達」

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トークイベント及びレセプションパーティー:9月28日(土)15:00〜18:00
 ゲスト:大内曜氏(東京都美術館学芸員)
 参加費:500円(小冊子「修復論」付)

 

LOKO GALLERYでは2022年の青野文昭個展「谷間に生えだすーとあるタテモノのおもかげ」につづき「それぞれの惑星とその住人達」を開催します。

青野は1991年に発表した「修復について」、のちに「修復論」(1996年)とした論考をもとに「なおす」といういとなみに着目して、路上などで拾い集めた過去や記憶を伴った拾得物の欠片に精緻な修復を施した作品をはじめとして、フィールドワークにもとづく大規模な作品を発表し続けています。
「つくる」「こわす」「なおす」という一連の人間の根源的な行いはそれぞれを単純に分けることができるわけではなく、「修復論」の末尾では『「なおすこと」は、カオス–再生のメタファーであり、・・・・・・「つくる」いとなみからは見えてこない「なおす」といういとなみが内在する固有の生の全体性を具現した「創造性」ではないだろうか。』と論じています。

青野の領域に集まってきたものたちの背景となっている人、家、社会、環境などは「なおす」いとなみにとっては雑音であり邪魔なこととして、自分の内だけで完結させるというのが当初の制作態度でした。しかし、それら欠片の背景を考慮しないと本来の修復にはならないということに思い至ると同時にそれら欠片を連結されていくことにより歴史と繋がり、作品としての迫力が出現してきました。
特に震災後には、集まってきた大量で多様な欠片たちの修復により、「なおす」といういとなみを根源まで深めることとなり、そこには「情の世界」が表出してきたと言います。

近年の大型展示の一つである“せんだいメディアテーク”で行われた「青野文昭 ものの,ねむり,越路山,こえ」後に一連の制作活動を称して「総合的復元」としています。
本展では「総合的復元」のいとなみの素材の主役とも言える「箪笥」にあらためて着目しています。
素材として使われる中古箪笥は所在を失い、重厚であるはずのものが浮遊感をただよわせ、まるで宇宙を彷徨う惑星の様相を現しています。
これはあたかも現在の世界の乱れた秩序を惑星的視点を持って捉え直そうとしているようでもあります。

なお、9月28日(土)午後3時より東京都美術館学芸員 大内曜氏をお招きしトークイベントを予定しております。「修復論」をお手元に青野文昭の世界を読み解きますので、是非ご参加ください。

 


 

「それぞれの惑星とその住人達」

2024,8,5  青野文昭

 

以前から自分は、中古の家具(主に箪笥)を代用的な素材(媒体)として、様々な欠片の再生、あるいはそこから派生した作品づくりを行ってきている。その上で近年ではさらに「総合的復元」と称して、形態上の復元にとどまらない、より根源的で多層的な復元を目指す様になっている。その作業の中で流用された中古箪笥の塊は、単なる石材や木材、FRPを用いる場合とは異なり、「総合的復元」との間に、何らかの相乗効果が生まれているように思う。
いったいそれはどんなものだったのだろうか?

例えば中古箪笥の場合、引き出しの中には、ぎっしりと生活用品などが詰っていることもあれば、既に片付けられてしまっていて、小さな欠片や匂いぐらいしか残されていないこともある。しかしそれらの欠片や匂いは、忘れられた、あるいは知らない、様々な時間や記憶、そして他者たちへ想起をうながしていく。
元来、箪笥というものは、外にある様々な物品(世界の欠片)を内にしまい込んで、自身の秩序の中に編入していくものであり、そうした「秩序」を組織するフレームそのものが物象化したものだと考えられる。一方で、いらなくなって捨てられた古い箪笥というものは、分類整理されるはずの物品から切り離され、文字通り空洞化したもので、使われなくなった世界のフレームのみが、ただ無意味に、遺跡の様に残っているものなのだろう。それはさながら、道や基礎の跡のみが残っている無人の廃墟、過去の遺構に近い。しかもその「遺構」は四方が閉じられた箱の中に放置されているのだ。この世から遮断され閉じ込められた小さな空間の中では、かつてあったはずの世界の記憶と気配のみがいつまでも漂い続けているだろう。そのようなことを考えると、中古箪笥が、一般的な木材や石材やFRPなどとは根本的に異なっているのがわかる。

通常の創造活動では作者の目的―理念を実現させる完成度が希求され、ニュートラルでコントロールしやすい材料が用いられる。それに比べ実際使われていた家具―中古の箪笥などは、先述の様に、作者的意図と無関係な、「他者」性であるところの様々な過去の文脈や意味(未知)を宿しており、それが「ノイズ」として、純粋な「創造行為」の障害になりかねないところがある。

一方、自分の行ってきた「総合的復元」においてはかなり事態が違ってくることになる。
欠片が多義的多層的に補完されようとするので、この他者性を宿した古い箪笥は、とても芳醇な媒体―豊かな土壌を形成していくと考えられる。
欠片とそれを取り巻く無数の繋がり、様々な記憶と経験の束を浮き上がらせようとする時に、時空を超えた多くのきっかけや手掛かりを与えてくれるのである。
中古箪笥が切り刻まれたり、穴をあけられたり、何かを埋め込まれたりする場合、内側に蓄積されていた異なる時空の記憶や気配は、外に抜け出ようとしながら、新たに加工され埋め込まれ結合された欠片たちと、接触し、交わり、様々な予期せぬ繋がりを生み出していくだろう。それは具体的に目に見えるわけではないのだが確かにそんな感じがするのだ。
新しい交わりと連結は、過去の時空にあった様々なものごとを暗闇から引きずり出し、新たな覚醒をうながす。欠片たちは自ら補完されつつ同時にそれぞれにふさわしいかたちで育っていく。予期しない複数の過去と連結してまだ見ぬ未来を形成していくのである。
箪笥は単なる「世界」の整理棚であることをやめ、あるいは作家的創造活動のための材料になるのでもなく、いわば欠片(世界の断片)のための新たな「苗床」となっていくのだ―と考えることができるかもしれない。

欠片は自身を包み込む地層(自身と無関係な他者をも含んだ領域)の中で、根を生やし枝を伸ばし、より自ら自身になろうと成長していくのである。
大地から水分や養分を吸収して生育する生きものたちの様に、古い箪笥の持っている異なる時空の様々な声や記憶を吸い上げ連動しながら、縦に横に、奥に前に、そして過去に未来に生育していく。植物にとっての大地の養分や水分は、欠片にとっての記憶や歴史―蓄積された別の時空―古い箪笥の中の空洞そのものなのかもしれない。欠片は過去や未来と繋がることで、個々それぞれの方向性や意味や根拠、つまりは「生命力」を得ていくのである。
それゆえ、欠片にとっての古い箪笥は、この上なく豊かな土壌となり、種子であるそれぞれの欠片を芽吹かせ育み、ついには一種の「生態系」と呼びうる何ものかへと生育・変貌していくだろう。

この箪笥をめぐり生まれてくる一種の「生態系」は、様々なアナロジーにつなげられるかもしれない。
今までにも様々な形状に帰結していった。
貝塚と共に眠る車、仮構される神域としての失われた神社、様々な物事が繁茂するとある土地・小さな島。そして、この世の様々な物事が各階層(引き出し)に詰って同居している日本の雑居ビルとして立ち上がることもあった。
例えばこの雑居ビルは、自ら動いたりはしない不動産の建造物として一種の彫刻的様相で積み上げられた。

今回は、自律(自立)的で移動可能という、箪笥本来の存在形態に立脚してみたいと考えている。なにしろそれは元の家から流出して今ここにある。この流出して自立している箪笥の性質に注目するならば、不動産としての(あるいは彫刻としての)ビルディングや神社や島のイメージよりも、様々な生き物や植物や住人や事物を乗せたまま移動・彷徨う住処―すなわち様々な生き物たちが生存しているこの地球の様な「惑星」のイメージに繋がっていくのかもしれない。スケールの違いはあるとしても、水と空気の生命に満ちた地球的「惑星」のアナロジーとして、「箪笥」という存在をあらためて考えていくこともできるのではないか。

それぞれの家々の歴史や生活を引きずった箪笥たち。
そこから生まれたそれぞれの生態系は、それぞれの成仏できない住人達を宿したまま、不動産である家々から流出しこの世・宇宙を彷徨い続けていく。それは夜空に所在なくうごめく人魂のようでもあり、煌めく星々の様でもある。

 

◯ 青野文昭「修復論」
1991年ー1996年に執筆された青野文昭「修復論」を日本語と英語で収録。2022年にLOKO GALLERYで開催した個展「谷間に生えだす―とあるタテモノのおもかげ」に合わせ、新たに写真を追加しLOKO GALLERYが制作。90年代から連綿と続く作家の活動の源泉。
著者:青野文昭和 / 表紙:カラー4C, 本文:モノクロ / ページ数:20ページ / サイズ:A4(297×210mm)/ 表紙作品:「なおす・復元 荒浜1997-3.10-9」1997年、収拾物、石膏、27.5×31.5×7cm / 制作・発行:LOKO GALLERY 
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ARTIST PROFILE: 青野文昭