ダンダンダン。タンタンタン。
近藤恵介・古川日出男

2016年8月11日(木・祝) – 9月3日(土)

[火 – 土]11:00 ‒ 19:00 *初日のみ 16:30 –
[日・月]休廊

[公開制作]
「今、生まれる譚」8月11日(木・祝)16:30 –

[オープニングレセプション]
8月11日(木・祝)18:00 –

画家・近藤恵介と小説家・古川日出男による2人展を4年ぶりに開催いたします。2011年の「絵東方恐怖譚(え・とうほうきょうふたん)」 そしてその再解釈として2012年に開催された「覆東方恐怖譚(ふく・とうほうきょうふたん)」に続く3度目の展覧会です。

本展のタイトル「ダンダンダン。タンタンタン。」は2人による即興的な制作セッションから生まれました。事前の打ち合わせなく紙を挟んで向かい合い、近藤が線を引き、それに呼応した古川が文字を描き込むというスリリングなやりとりを繰り返す中で、“物語”を意味する「譚」 の文字は「淡」を経て「談」へと変化。最後には漢字の持つ意味からも離れ「ダン」「タン」とリズムを刻むように重なっていきました。

この音の重なりは展示内容とも密接にリンクするものです。本展の会場である LOKO GALLERYの建設現場を下見に訪れた2人は、高い天井を持った真新しい展示空間から触発され、絵画 / 文字を柱のように積み重ねていくというアイディアに至りました。「ダンダンダン。」は 工事現場の作業音、ギャラリーが立ち上がっていく音であるとともに、作品が積層する音でもあります。会場には複数の物語のレイヤーが 絵画となって積み上がり、“説話集”のような展覧会が生成されるでしょう。そしてそれらは観る者の視線によって結ばれ、真の完成に至ります。「タンタンタン。」という音節には、会場に響く鑑賞者の足音や階段を登るリズムといった要素も秘められているのです。 加えて今回の展覧会には、近藤と古川の恊働の原点ともいうべき「絵東方恐怖譚」の出品作も登場。2人の共鳴の歴史が多角的に浮かび上がります。

これまでの文字と絵画による試みを引き継ぎつつ、全く新しい段階へと踏み出す3 度目の展覧会にご期待ください。

 

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“描く”と“書く”の手元のこと

上にある展覧会の内容説明の文はぼくと古川さんが書いたり話した内容をギャラリーがまとめたもので、読んでもらえれば展覧会の趣旨はわかると思うので、ここではもう少し細かい、筆や万年筆が紙に触れる感触くらいの些細なことを。

“描く/書く”ことが“書く/描く”ことを呼び込んで、それが連続して積層して作品ができているのだけれど、“描く”と“書く”を別々の人間が行っているので、それぞれの行為を引き受けて次を“描く/書く”ことになる。絵具の層の上に文字が書かれたり、更にその上に線が引かれたり。そこには必ず齟齬が生じるので、いつものようにはいかない。例えばキーボードで文字をタイプするときに滲むことはない。滲むことは“書く”に予感されていないので、どうしても戸惑うし、滲まなかったことにはできないから、滲んだことで一度立ち止まる。つまずく。

今回の制作中、古川さんはよく文字を見失っている。単純な書き間違いもあるし、存在しない漢字を造ることもある。普段とは違う支持体に書いていること、原稿用紙とはマスの幅も違うし場合によってはそれすらないこと、あるいは筆記具が違うことも原因のひとつかもしれないのだけれど、そうやってふと文字がほぐれたり変態するときに、ぼくたちは目を合わせる。

「譚」が「淡」「談」「ダン」「タン」と変化するように、「タ」と書こうとしたら勢い余ってふたつ書いてしまって「多」になって、その指先の動きの余韻でグルグルっと文字を消したときの手の運動をぼくは“描く”に引き取ってクルクルっと線を引く。

2016.7.11 近藤恵介

 

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公開制作「今、生まれる譚」のこと

普段、絶対に断わっていることがふたつある。ひとつは、「家のなかを見せてほしい」という依頼。これは、そこであなたの仕事中の写真を撮りたいから、等の理由が添えられたりもする。僕にとって、家の内部はそのまま「目下取り組んでいる作品のための、拡張された脳内」のようなものなので、他人をそこに踏み込ませることはない。次いで、断わることのふたつめ。「小説を執筆している姿を見たい、仕事場にカメラを据えて映像に撮らせてほしい」等の依頼。これも拒む。しかしながら、近藤恵介とやっているこの共同制作で、僕は何度も、他人に「今、ここで書いている姿」を晒している。どういうことなのだろう? ギャラリー内でモノを作る時、スタッフその他が見ている、撮っている、しかし気にしていない。それはどういうことなのだろう?

過去に二度、近藤とは公開制作を行なった。それは強烈な体験だった。と同時に、僕(たち)にとってだけ、意義深い体験だったわけではないらしい。立ち会ってくれた人が、その強烈さを言葉に換えてくれたこともある。つまり、公開制作とは、それを「見ている」者たちをも確実に巻き込む。より正確に言えば、その「見ている」人たちに僕と近藤が巻き込まれている。

ギャラリーの展示とは何か? 普通に解説したら、それは「すでに書かれて/描かれているもの」を鑑賞することだ、となるだろう。しかし公開制作においては「書く/描くという行為」を鑑賞することになる。それは鑑賞というワーディングでは言い表わしきれない何事かになる。なぜならば、それは場に、作品に、力を及ぼすからだ。鑑賞ではない鑑賞、あるいは目撃。しかも公開制作を眺める者は、沈黙しつづけているだろうから、僕と近藤も沈黙しつづけているだろうから、黙劇。
目撃し、黙劇を生む、この劇的な時間に、僕(たち)はみたび向かう。みたび包まれる。

2016.7.26 古川日出男

 

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2016年8月31日(水)

「今、生まれる譚」が生まれたたタタン、ダン。
公開制作の記録映像作品「『今、生まれる譚』のいち記録」(河合宏樹監督)
ライヴ・コメンタリー付き上映 + トーク

[開場]18:45
[上映・トーク]19:00 – 20:30
[出演]近藤恵介・古川日出男・河合宏樹

展覧会初日に近藤と古川によって行われた公開制作の模様は、映画監督・河合宏樹によって映像として記録されました。今回のイベントでは、その作品「『今、生まれる譚』のいち記録」を近藤・古川・河合の生コメント付きで上映し、展覧会場での三者のトークも実施いたします。あの日あの場所で2人の制作をご覧になった方もそうでない方も、映像という多角的な視点から白熱の創造の瞬間を追体験していただけます。イベントへの入場は無料です。どうぞお気軽にお越しください。