EXHIBITIONS
山田哲平・森夕香「境界行為|Liminal Acts」
- Information
- Works
- DATE
- 2024-12-13 [Fri] - 2025-01-25 [Sat]
- OPEN TIME
- 11:00-18:00[Tue-Sat]
- CLOSE DAY
- Sun, Mon, National holidays[Closed for the New Year's holiday: 2024/12/25 - 2025/1/9]
会 期:2024年12月13日(金)〜12月24日(火)/2025年1月10日(金)〜1月25日(土)
◯オープニングレセプション:2024年12月14日(土)16:00〜19:00
LOKO GALLERYではこの度、山田哲平(1979年-)と森夕香(1991年-)による二人展「境界行為|Liminal Acts」を開催致します。
映像やサウンド、写真やテキストなど様々なメディウムを用いた彫刻作品を発表してきた山田哲平は、中心と周縁、その双方を繋ぐ哲学や科学、美学を横断しながら、無意識と意識の領域や感覚と思考・認識のはざまを介して世界における多様な存在と向き合い、自己や他者、社会や自然、その現象としての出来事の痕跡をあぶり出してきました。
仏教美術の影響も受け日本画を出自とする森夕香は、自身の身体感覚と環境との関係性を主軸に、絶えず変化するその流動的な相互作用や、目に見える世界の枠を超えた感覚的な領域に自身の絵画の知覚を共鳴させています。植物のメタモルフォーゼや伝統芸能である能なども参照点とする森の画面には、日本画における図と地の関係性の探求を通した独自の形象が立ち現れます。
本展タイトルの一部である「Liminal」は、ラテン語のlimen(閾値)から派生し、生理的、心理的、精神的な境界における中間領域を指す言葉です。人類学の理論にも紐つくこの術語には、二項対立が覆されることから派生する混沌や、混合性と不確定性、異質性や周縁性といった性質も挙げられるとされます。1 中間的境界とはすなわち未分の領域です。文化人類学者のヴィヴェイロス・デ・カストロは、類似や対立、アナロジー同一性などの類型に還元されない差異の存在様態としてのそれを「一つのあいだ」と言及しています。その装置的性状はまた、一と多の関係において一方が片方に還元されることなく相互生成的に拮抗している場所2 とも隣接しているようです。
身体や感覚器官と媒体としてのメディウムを接続する実践を通して、包摂し包摂されるという逆転の関係性を考察する山田は、本二人展において新たなシリーズ<骨と拡張>を発表します。平面技法のパースペクティヴを採用した三連作品には、真鍮による立体枠が施され、内側に配された平面形象の輪郭は何か有機形態を想起させます。彫刻の発想を持って絵画制作を試みたと話すフランシス・ベーコンの空間フレームにも触発されている本作には、彫刻性と触覚的なものを二次元に落とし込むという逆転が同時に存在しています。社会構造や規律、正義の論理といった人間が作り出した<枠>の擬態として提示される外側の枠組みと、多重露光で捉えられた雲や炎、流体運動の形骸である同一蠣殻による異なった輪郭から成る内側という二重の仕組みは、表層に施されたレンチキュラーレンズによる半透明な視界3 と共に観者に距離と視点を要請し、作品は見る角度によって歪み、その位相を変えてゆきます。山田はまた、この一見抽象的に象られた平面体の内に意識や身体が延長された多様な生命もみています。そして彼が「開かれている」と話す三つの枠のパースペクティヴ、その「あいだ」には、未決定な領域が潜んでいるかのようです。
2019年頃より植物をモチーフとした絵画にも注力してきた森は、対象生命単体だけではなく、それらが宿る空間全体を身体的に捉えた実践を続けています。そこでは様々な個や断片的な存在が複雑に絡み合い、時に管や内臓をも想起させながら、その輪郭は流動し、滲み、交じりあっています。2024年に発表した新作<リゾーム>では数千もの睡蓮が自生する池というサイトスペシフィックな条件の中で、水面に見える睡蓮の花と、水中に繁殖する無数の見えない茎の存在を描いています。大胆に配分された画面は上部一割に一輪の花が、残りの画面には母胎のように身体化した存在と複数の茎達が交接しながら揺らぎます。彼女の描くこのような未分の情景は、仏教の有情(意識あるもの=人間・動物)非情(意識のないもの=植物)の境界線を自然の領域へと大きく拡大した日本のアニミズム的思考や、『芭蕉』をはじめ境界を越えた人間と植物の連続性を主題とした能の演目とも共鳴しています。
採用するメディウムも属性も異なる森と山田。この二人の思考と行為の共有項を、彼らが主題とする事象の「境界」を基軸に示すならば、それは枠からの逸脱への希求と混交、そして拡張と変換と言えるかもしれません。内と外や有機的なものと無機的なもの、人工と自然といった二項対立構造が混在する世界で、彼らの作品は波動や循環などの力に突き動かされながら、ある種の抵抗の原理としてそこに生の湿度もたずさえた、感覚の形象を模索しています。それは解剖学4 の手つきにも似て、場所において、それら身体(のような)形態は振動し、ねじれ、時にはみ出し、歪んでゆきます。その不均衡は、変容が変容していくようなパースペクティヴ、視点の間の距離を持った強度的な差異への志向なのかもしれません。
(山越紀子|キュレーター)
山越紀子 |インディペンデント・キュレーター、ライター。チューリッヒ芸術大学(キュレーション)修士。主な近年の展覧会に「Games.Fights.Encounters」(2020-2021)「Choreographing the Public」(2019-2020)、久保寛子(2023)、宇留野圭(2024)、共同執筆に 「la_cápsula – between Latin America and Switzerland: An Exploration in Three Acts」(2020)、インタビューエッセイに「《MJ》田村友一郎」(2019)など。
1. この領域において、以下の文献では視覚芸術やパフォーミングアーツ作品と観客のあいだで生じるこのような感覚について言及しています。 『The Transformative Power of Performance: A New Aesthetics』Routledge, Erika Fischer-Lichte, 2008年|『Liminal Acts』Cassell, Susan Broadhurst, 1999年
2. (西田幾多郎から<道具>のモナドロジーへ)「交差(キアスム)と人間」清水高志、『現代思想』青土社、2015年
3. ここに、作品における触覚性への幾つかの道筋が読み取れるかもしれません。例えばベーコン作品においてある種の画面の撹乱として現れる櫛状の塗り、または、ブラー、低解像度、テクスチャ、視覚の遮りなどを手がかりに観者との関係を考察したローラ・U・マークスが提唱する「触感的視覚性」、そして『デ・アニマ』における、中間に介在するものとしての媒体など。 「触感的知覚の考古学」ローラ・U・マークス、『ドゥルーズ・知覚・イメージ 映像生態学の生成』 宇野邦一編、せりか書房、2015 年
4. 解剖学者の三木成夫は両者共通の参照点となっています。森は自身の実践において三木の、植物の構造は人間でいうところの腸管を裏返しにしたような構造である、という記述にしばしば言及しています。また山田がこれまで<Inside Out>(2016/2023)や<Différence de nature>(2021)<Pulse>(2022)といった作品で採用してきた、多様な人々から採取した鼓動を可視化・触覚化した作品において、生物の蠕動運動と鼓動の繋がりなどが参照されています。
ARTIST PROFILE: TEPPEI YAMADA 森夕香