青野セクウォイア
Vital Beating

2018年11月1日(木) ‒ 12月1日(土)

[オープニングレセプション]
11月1日(木)18:00 ‒

[火 ‒ 土] 11:00 ‒ 19:00
[日・月] 休廊

彫刻家・青野セクウォイアによる個展「Vital Beating」を開催いたします。現在ニューヨークを拠点に活動を展開する青野は、精緻な写実的表現を可能にする高い彫刻技術や、石材・木材・金属など幅広い素材を柔軟に扱った作品群、あるいは燃やす・切断するといった実験的アプローチを加えた木彫作品などによって注目を集めています。欧米を中心に巨大な野外彫刻のコミッションワークも多数手がけるなど高い評価を受け始めている青野ですが、日本での個展は今回が初となります。

本展の軸となる青野の最新作《Sculpture of Liberty》には、彼がおよそ10年間保管してきた黒大理石が使われています。昨年から今年にかけて青野はこの大理石を切り出し、丹念に掘り、磨き上げ、等身大の精巧なセルフポートレイト像を生み出しました。そしてこれから青野は最後の“仕上げ”としてこの立像を倒し、地面と衝突させることによって破壊するという手を加えます。展覧会ではバラバラ になった像そのものと、倒壊の瞬間を収めた映像などが展示される予定です。

破壊という手段によって彫刻を完成させる行為は、一見ネガティヴなもの・破滅的なものに映るかもしれません。しかし常日頃から石 材や木材を掘り続けている青野は、自然の力によって生み出された素材たちに人工的な手を加えていく「彫刻」という行為も “破壊” であることに変わりはないと語ります。むしろ地面と衝突させる=重力を利用する、という工程は、自然の摂理を作品に取り入れることでもあり、青野にとっては彫刻という人為的な “破壊” から遠ざかるための手段でもあります。

このようなプロセスを経て展示される今作は、私たちを様々な新しい視座へ導くでしょう。倒壊によって出現する彫像の割断面は、作 家自身にすら予想不可能な造形を宿し、この立像の鑑賞者に対しても未知の視点をもたらします。今作における破壊は、終焉や完結 を意味するものではなく、彫刻に生命を吹き込み、新たな創造へと向かうためのスタートラインとでもいうべきもの。ひいてはそれらが 彫刻芸術一般の本質や視覚に対する新しい問いかけや照射となることを、青野は目指しています。あるいは彼が今回の制作のきっか けとして挙げるメトロポリタン美術館所蔵の《Fragment of a Queen’s Face》のように、文化財の継承や作品の完全性・歴史性といっ た命題を想起させる側面をも有するかもしれません。そして現在も絶え間ない災害にさらされている日本という国や、日本とアメリカの血を引く自身のアイデンティティといった事柄もまた、今作に至るまでの青野の制作に通底するテーマとして存在しています。

高度な職人的彫刻技術と、そこから果断に両手を離すかのような実験的挑戦によって訪れる創造の瞬間を、ぜひ多くの方に目撃いただければ幸いです。

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10年ほど前になるだろうか。メトロポリタン美術館で《Fragment of a Queen’s Face(女王頭像断片)》という彫刻を観た。

紀元前1352~1336年頃のエジプトで作られたとされるこの女王の頭像は、頭部の大半を失い、現在は口元と顎だけが残っている。ガラスのように シャープに裂かれた大きな断面。魅惑的な黄色い石は、その硬さをも物語っていた。“割れ”た断面は、ある種の生命感や素材の素顔を露わにして いる。その無垢で自然な石の表情と、彫り師によって彫刻された人為的な表層との鬩ぎ合いが、互いを引き立て合っている。そしてその大きな“欠落 ”は見る側の想像をかきたて、論議を呼び、いつの時代にも人々を魅了し続けてきた。この彫像が壊れることなく完全体であったなら、失われた部分に対する片想いのような異常なもどかしさを感じることもなく、私の目にもただただ貴重な文化財の一つとして映っていただろう。

私は大学で彫刻を始めて以来、自然の素材の美しさと、カーヴィングの本質に魅せられ制作活動をしている。しかし同時に、もともと美しい天然素材を相手にカーヴィングという名の“壊す”行為で作品を完成させていく矛盾や難しさとも日々奮闘している。

この《Fragment of a Queen’s Face》との出会いから、人為的な創作には越えられない限界があるのではという想いが次第に強まり、完成される間際に人為の及ばない偶然性を加えられないだろうかと、木彫を焼く・切断するといった研究も多々おこなってきた。身近な参考例でいえば、焼き物の高熱処理によって生まれる予測しきれない色や輝き、陶器の形状を変化させる「焼き締め」、釉薬を定着させるための工程などが挙げられる。

壊れてもなお美しさを残し、謎めいてゆく文化財。歴史や時間、あるいは事故といった要因によって生み出されたものであっても、何らかの力が魅惑的な造形物の最終形態をとどめたのだとすれば、高熱で焼き人智の及ばない工程を経て完成される焼き物とそう変わらない、とも解釈できるのではなかろうか。

私は無からの創造ではなく、時代や文明を超えた魅惑や美しさを形成するいくつもの条件や要素を割り出し、そのいくつかに着眼し、私なりに現代に生み出す新しいアートにとり入れたいと考える。

地震大国であり、また広島・長崎・福島での被曝も含めこ れまでに多くの災害に遭い、様々な試練を強いられてき た日本…“破壊と創造”は特に日本人にとっては実は代々 身近なことなのかもしれない。ここ数年アメリカを拠点に している私だが、この東京での展覧会を機に、彫刻を通し て、“日本人とは”もしくは“私とは”を改めて模索すると同 時に、未知あるいは異種なる世界へと観る人々をいざないたい。

青野セクウォイア