5月 14日[ART FAIR]Sydney Contemporaryに出展

9月12日 – 15日にシドニーで開催されるSydney Contemporaryに出展します。
青野セクウォイア と 安部悠介、2名の作家で展示を構成いたします。
お近くへお越しの際はぜひお運びいただけますと幸いです。
詳細情報は下記サイトにてご確認ください。

Sydney Contemporary

LOKO Gallery | Sydney Contemporary

加茂昂
境界線を吹き抜ける風

2019年4月26日(金)- 6月1日(土)

[オープニングレセプション]
4月26日(金)18:00 ‒

[火 ‒ 土]11:00 ‒ 19:00

[日・月]休廊
*4月30日(火・祝)‒ 5月4日(土・祝)は開廊

画家・加茂昂による個展「境界線を吹き抜ける風」を開催いたします。

加茂は3.11の東日本大震災以降、“「絵画」と「生き延びる」ことを同義に捉え”ながら制作に取り組んできました。近年の彼は、広島の原爆、熊本の水俣病事件、そして福島の原発といった20世紀以降の日本が抱えてきた甚大な災禍を、現地でのリサーチや滞在制作とともに作品テー マの1つとしています。被爆者自身の筆による原爆体験の絵を模写すること、あるいは水俣病の被害者が懊悩の末に到達した“祈り”の境地に触れたことなどを通じ、加茂は1人の人間として、また画家として、そうした果てのないテーマに挑んできました。

ここ数年の加茂の活動を辿ると、“追体験”あるいは“共感”といった言葉が浮かび上がってきます。同じ国の中で起こった出来事でありながら、ともすると我々が「当事者」であることから目を逸らしてしまいかねないこれらの事象とどのように向き合うべきか? それは一個人が明確な解を導き出せるような命題ではないかもしれません。しかし加茂は、それらの被害者との直接の関わりの中で、自らが経験 / 考察してきた 時間を絵具というメディアに変え、絵画上に堆積させることでその問いと格闘し続けています。そのような時間の経過のなか、加茂の思考の変遷と同様に、彼の絵画におけるモティーフや描法もまた、静かな、しかし確かな変化を遂げてきました。

彼は本展の主題に「境界線」そして「風」という言葉を据えています。今回メインとなる作品群に描かれたフェンス(=「境界線」)は、福島の帰還困難地域において立入禁止エリアを示すために設置されているものです。このフェンスは加茂が福島在住の友人の一時帰宅に同行した際に目にし、これまでにもたびたび描いてきたものですが、今回はそこに“風”という新しい要素が加わります。格子状のフェンスをいともたやすく吹き抜け、“こちら側”と“むこう側”を行き来する風は、「隔離された」エリアといま私たちが暮らす領域の間に実は何の隔たりもないこ と、つまりは私たちの誰もが等しく「福島以後」の世界を背負っていることを示しているのかもしれません。

風という存在が内包するこのような象徴性について加茂は、詩人・谷川雁氏の「すべての物質は化石であり、その昔は一度きりの昔ではな い。いきものとは息をつくるもの、風をつくるものだ。太古からいきもののつくった風をすべて集めている図書館が地球をとりまく大気だ。風 がすっぽり体をつつむ時、それは古い物語が吹いてきたのだと思えばいい。風こそは信じがたいほどやわらかい、真の化石なのだ」(筑摩書房『ものがたり交響』より)という言葉を引用しながら語っています。

社会が抱える問題とその中に存在する個人、双方に目を向けながら実直な制作と問いに挑み続ける加茂昂の、現在地点と最新作品群を多くの方にご覧いただければ幸いです。

、譚 近藤恵介・古川日出男

2019年3月22日(金)- 4月21日(日)

[公開制作]
3月23日(土)16:30 ‒
[オープニングレセプション]
3月23日(土)18:00 ‒

[火 ‒ 土]11:00 ‒ 19:00
[日・月]休廊

*4/21は、11:00 − 12:00 および「画廊劇」終演後(19:00頃−20:00頃)のみオープン

*3月30日(土)と4月21日(日)に画廊劇「焚書都市譚」を開催いたします。詳細情報は下記をご確認ください。

画家・近藤恵介と小説家・古川日出男による2人展「、譚」(読み:てんたん)を開催します。これまで様々な形で活動を共にしてきた両者ですが、展覧会の開催はおよそ2年半ぶり、今回で4度目となります。

過去に2人が行ってきた制作の多くでは、古川が文字の、近藤が絵画の要素をそれぞれ担当。時に即興的なセッションを交えながら、両者の間を紙が往復し、作品が生まれてきました。本展はそうして積み重ねられてきた制作や展覧会の延長線上にありつつ、より多元的に発展していきます。

まずギャラリーの一部には、作家自らが歴代作品群の中から何点かを選び、回顧展的な構成を施します。これまで近藤と古川は各展覧会ごとにまとまった数の作品を制作していますが、それらは各シリーズごとに固有の、濃厚なコンテクストを纏ってきました。今回の展覧会では歴代作品を元来の文脈から切り離し併置することによって、それらが持つ単体の絵画としての強度を浮かび上がらせ、新たな側面をみせることを目指します。加えて本展のた めに作られる新作では、近藤が自身の制作の関心事とする屏風や襖といった建具や、江戸初期によく描かれたとされる、室内空間を扱った「誰が袖図」という画題を参照。絵画でありながら家具としての機能をも持つこの新作は、展示空間を複数に区分けすると同時に、絵の内と外を結ぶようなインスタレーションを構成します。展覧会2日目には近藤と古川による公開制作も行われますが、作家の部屋=アトリエでありながら過去と現在を展覧する場でもあり、また会場全体を1枚の絵画とするかのような多義的な空間が発生するでしょう。

一方、古川は3月6日発売の文芸誌『すばる』(集英社)で新作中編小説「焚書都市譚」を発表予定。この小説は2016年の展覧会「ダンダンダン。タンタンタン。」において発表された同名の絵画4点に端を発するものです。古川はこの小説をベースに、“画廊劇” と称する演劇 / パフォーマンスを演出し、会期中に2日間にわたり上演します。公演には古川と近藤に加え、北村恵(俳優 / from ワワフラミンゴ)と河合宏樹(映像作家)の両氏、およびギャラリースタッフも参加。地下1階から地上2階までの複数空間をフルに使ったダイナミックなパフォーマンスが展開される予定です。公開制作、パフォーマンス、そして多層的な展示空間が重なり合うことで、およそ1ヶ月の会期中に展覧会は刻々と変化を遂げていきます。流動するギャラリーの様相は、展覧会タイトル「、譚」の「、」、すなわち継続や変転を象徴する読点が示すものの1つです。小説家デビュー20周年でもあった今年度、古川は執筆に留まらない様々な活動を精力的に重ねてきましたが、今回の展覧会とパフォーマンスは、その記念イヤーを締めくくるに相応しいスリリングなものとなりそうです。

2011年の「絵東方恐怖譚(え・とうほうきょうふたん)」、2012年の「覆東方恐怖譚(ふく・とうほうきょうふたん)」、そして2016年の「ダンダンダン。タンタンタン。」に続く今回の「、譚」。これまでで最も予測不可能な変容を遂げていくであろう前代未聞の展覧会を、ぜひ目撃してください。

 

 

画廊劇「焚書都市譚」 公演情報

▼3月30日(土)画廊劇「焚書都市譚(三月版)」Thank You Sold Out !

16:40 ギャラリー1Fにて受付開始
16:50 開場
17:00 開演

 

▼4月21日(日)画廊劇「焚書都市譚(四月版)」Thank You Sold Out !

17:10 ギャラリー1Fにて受付開始
17:20 開場
17:30 開演

12名さま限定で追加予約を受付中です。
ご好評につきキャンセル待ちのお問い合わせを多数いただいたことから、緊急増席が決定いたしました。(4/4更新)

追加分も含め、予約完売いたしました。

キャンセル待ち予約を承っております。(4/9更新)

 

[出演]
古川日出男(小説家)、近藤恵介(画家)、北村恵(俳優 / from ワワフラミンゴ)、 河合宏樹(映像作家)、宮下和秀(ギャラリスト / from LOKO GALLERY, MUG)、 田中耕太郎(ギャラリスト, 音楽担当 / from LOKO GALLERY, しゃしくえ)

各回50名限定 入場料:2600円(1ドリンク付き)

*ドリンクは、ギャラリー併設のカフェ・私立珈琲小学校による「焚書都市譚」特別限定ブレンドコーヒー2種(ブラック / ラテ)、もしくは数種類のソフトドリンクの中からお選びいただけます。

ご予約・お問い合わせは メール (tentan [at] lokogallery.com)または 電話(03-6455-1376)にて受付中です。
予約希望の方は、お名前・人数・ご連絡先をお知らせください。

 

▼4月21日(日)画廊劇「焚書都市譚(四月β版)」New!

 

13:40 ギャラリー1Fにて受付開始
13:50 開場
14:00 開演

50名限定 入場料:2000円(1ドリンク付き)


好評につき、最終日のゲネプロ(リハーサル)を特別料金にて公開いたします。
このβ版は、本番公演とは一部異なるヴァージョンの演出で上演されます。
既に本番公演をご予約いただいているお客様につきましては、夜の公演(四月版)とこの公開リハーサルの両方を予約することも可能です。
夜から昼への予約の振替えも受け付けております。

なお、四月β版の開催決定に際し、古川日出男氏からは以下のメッセージが届いております。

「諸般の都合上、本番とはエンディングの演出が異なりますが、別展開を用意いたします。」

 

ご予約・お問い合わせは メール (tentan@lokogallery.com)または 電話(03-6455-1376)にて受付中です。
予約希望の方は、お名前・人数・ご連絡先をお知らせください。

 

 

古川さんとの4度目の展覧会は——

愚直な合作を2011年に始めてから、画面を挟んでの対話を繰り返してきた。少しずつ方法も見出してきたし、お互いの共通言語もできたように思う。そのひとつの集大成が2016年にLOKOギャラリーで開催した展覧会「ダンダンダン。タンタンタン。」だろう。ダンダンダン!と絵と文字を積み上げた。絵が屋根、壁、床で、それを文字が柱となって支えることで、あの大きな建物のような作品は建った。お互いの絵と小説を背景に据えながら、これまでの方法論を最大化して基礎とした作品であり、あの真新しい天井高のあるギャラリー空間を覆った。日光がよく入る展示室にタンタンタンと足音が響いた。

今度はどうだろう。振り返ると、これまでにつくってきた沢山の作品がある。「振り返る」というと人生がリニアであるように思えるが、まさにそのような作品をつくってきたともいえる。というのも、最初に古川さんと2人で共作をしたのが雑誌の誌面上で、それはページを繰りながらみる/読むことが前提としてあったし、そのことを強く意識して天平時代の絵巻物《絵因果経》の形式を引用した。ただ、簡単に一直線に読めないように、視線がつまずくような段差の多いデコボコした誌面ではあったが——。

そのことが出発点としてあるので、それからこっち、知らぬうちに直線的に歩んできたのではないか。そういえば、冒頭に書いた「ダンダンダン。タンタンタン。」展のときだって、直線的に作品を積み上げた。部分であるそれぞれの絵も直線が多用されていることに今になって気がつく。線を引くような数年間。

去年の12月1日に古川さんの舞台上でのパフォーマンスをみた。前半の自著の朗読にぼくは相当に揺れた、いや、文字が揺れていた。
朗読は、ガラスの大皿で本を下敷きにした状態で始まった。その後、皿に水が注がれた。水とガラスを通して文字は読まれ、声となって耳に届いた。安定しない本に乗る皿は揺れ、それに連動して水面は波打ち、文字は揺れた。声は——当然揺れたし、読み間違うので途切れた。自分の書いた文字列を湾曲させ、揺らし、それを読み、声に出すことで、空間を揺るがした。繰り返しになるが、ぼくも揺れて、ひっくり返った——比喩でなく。しばらく後に、万年筆のインクが数滴垂らされて、水と空間がきれいな淡いブルーに染まる。

——そういうものになる。

2019.1.23 近藤恵介

 

 

展覧会の予告映像がYouTubeにて公開されています。
映像の制作は画廊劇の出演者でもある河合宏樹さんです。

(2019.2.23)

ハンス・アンダーソン
個展

2019年2月8日(金)‒ 3月9日(土)

[火 ‒ 土] 11:00 ‒ 19:00
[日・月・祝] 休廊

 

[オープニングレセプション]
2月8日(金)18:00 ‒

[アーティストトーク]
2月8日(金)19:00 ‒

 

LOKO GALLERY はスウェーデンのアーティスト ハンス・アンダーソンの日本初個展を開催します。

アンダーソンは長年にわたり、ファウンドオブジェクトを主な素材として抽象の平面や立体作品を制作してきました。路上に棄てられた紙袋やプラスチック、金属屑、古い写真アルバムなど、作家は固有の意味や歴史を内在したオブジェクトに長い時間をかけて手仕事を施すことで新たな時間軸を与え、作品として昇華させます。注意深く構成されたコラージュや繊細なドローイングからは作家の制作のプロセスをうかがうことができますが、それは論理的に組み立てられたものではなくあくまで直感的で、作家の行為そのものと密接に関係しています。 アンダーソンの制作は自発的であると同時に受動的です。あえて明確なプランを持たずに素材に向かい、作品や制作環境とともに作家自身も変化していきます。予断や意味的な解釈を排除し、まずは状況を純粋に経験することに重きを置く彼の制作方法はまるで瞑想のようでもあり、作品は作家による精神の旅の記録といえるかもしれません。

禅の思想や西田幾多郎の哲学、もの派の活動に影響を受けたと語る作家は 2017 年の数ヶ月間、日本に滞在しています。本展では、日本滞在を経て新たな視座を得た作家が制作した4メートルに及ぶ巨大な紙のコラージュ作品を中心に、金属や皮革を用いた立体作品も併せて展示いたします。 彼の作品、そして本展を含むこれまでの全ての個展にタイトルはありません。そこには、鑑賞者が言葉とそれに伴う意味から離れ、言語を超えた領域で作品を知覚し、解釈することを促す作家の意図がこめられているのです。

 

マルシア・カヴァルカンテは Lovtal till intet (Eulogy to Nothingness/ 無への讃歌 ) の中で、理解の過程そのものにおいて、解釈の真の価値が模索されねばならず、そのような発見の瞬間が焦点だと書いています。私にとっ て芸術を創造することは、理解の過程の一部になろうとすることです。それは今この瞬間に起る体験で、そこで は常に何かに初めて出会うことが可能です。それは脱創造の一形式で、世界をとらえた過去の経験とは関係を絶とうとすることです。これはそれらの経験を拒否するのではなく、ただ自分の一部ではないと考えることなのです。
– ハンス・アンダーソン

 

ハンス・アンダーソン
1979 年 スウェーデン, カルマル生まれ. ストックホルム在住. 2005 年 コンストファック美術大学( ストックホルム) 卒業. Helge Ax: son Johnson Foundation や Arts Grants Committee working grant, など、これまで様々な賞や助成を得ており, 2017 年には AIT(アーツイニシアチブトウキョウ) のレジデンスプログラムで3ヶ月間日本に滞在した. 「Swedish Art Now」(スベン・ハリー美術館、ストックホルム、2016),「If you don’t like art..」(ヴェストフォシン美術館, ノルウェー ,2017)、個展(王立美術アカデミー , ストックホルム,2018 ) など多数の展覧会に参加し、作品は マルモ美術館(スウェーデン) and the Swedish Association for Art, National Art Council, Sweden, フェンバーガーハウス(長野, 日本) など多くのコレクションに収蔵されている.

安部悠介
決定的に自由であるために

2018年12月7日(金)‒ 2019年1月26日(土)

*12月29日(土)- 1月10日(木)は休廊

 

[オープニングレセプション]
12月7日(金)18:00 ‒

[火 ‒ 土] 11:00 ‒ 19:00
[日・月・祝] 休廊

画家・安部悠介による個展「決定的に自由であるために」を開催いたします。今年3月に美術大学院を修了したばかりの若手ペインターである安部ですが、そのストイックな制作力から生み出されるパワフルな作品群を武器に国内外で活動を重ね、少しずつ注目を集めています。本展覧会は、大学院修了後の彼の初個展となります。

今にも具現化しそうな躍動感に満ちたポップなキャラクターたち。あるいは絵画上にトレーディングカードやプラスティック製品を貼り付ける、キャンバスの上に別のキャンバスを重ねる、といった大胆な構成から生まれる異様な画面。安部の絵の前に立った時、まず目を引くのはこれらのキャッチーな要素です。そこには彼が少年時代から今に至るまで親しんできたゲーム文化や自然にまつわる記憶、そして絵画や美術史を地道に研究してきた彼独自の、批評的な視線や新しい絵画形式・様式の提示を読み取ることができます。

これらの諸要素を楽しむだけでも安部の作品は十分に魅力的です。しかしそれ以上に彼を絵画へと突き動かしているものは、もっと別の、名状しがたい何かです。

たとえば安部は、自身の画中でモティーフとして扱ってきた昆虫や魚、架空のモンスターたちと、絵筆によって引かれた何気ない一本の線とが、“全く同等の存在”であると語ります。昆虫は草むら、魚は水中、モンスターはカードやゲームの世界、それぞれの住処の環境に従って 成立し、生きています。安部は幼い頃から、昆虫採集や魚釣り、あるいはゲームをプレイすることを通してそれら別世界の住人たちと遭遇し、 自分とは別種の生命と環境を持った「彼ら」の存在に驚き、魅かれ続けてきました。そしてそれは、自らもまた彼らと何ら変わらず「人間の世界」という限定的な環境のもとで生きている、という自覚へと敷衍されていきます。

高校時代に初めて油絵具を手にしてキャンバスに何気ない一本の線を引いた時、安部にはその色面が「彼ら」と同様に、それ自身が住む世界の仕組み、すなわち「絵画の世界」という環境に則って成立し、生命を与えられている存在に見えたそうです。視覚芸術に対する彼の鋭敏な感覚の原点を示すエピソードだといえるでしょう。加えて絵画は、そのような自律的な環境を持つとともに、その作家自身の紛れもない痕跡でもあります。安部にとって絵具と筆は、自らの分身のような世界と、全く異なる未知の領域の両方に同時にアクセスするためのツールなのかもしれません。絵画が持つこのような両義性にのめり込み、安部は制作を積み重ねてきました。

本展のタイトルにおける「自由」という言葉が意味するものは何か? もちろん彼にとってそれは、絵画上に好きなものを貼り付けたり、奇抜な構成を施したり、といった表面的要素を示すものではないでしょう。安部にとっての絵画が、自分自身の生きる世界と別の生命が息づく異界の両方を把捉し、探求していくためのものだとするならば、そこにおける「自由」とは、一つには、複数の次元に存在するいくつかの世界に触れ、その環境から逃れられない各々の宿命を感じながらも、自らの持ち場で最大限に生命を燃やしていくことであるといえるのではないでしょうか。

本展は、これまでの安部作品の多彩な技法が網羅的に盛り込まれた最新シリーズと、ここ数年の大量の過去作品群の中から選び抜かれた重要なピースたちで構成される予定です。2018年から2019年へとまたがる会期のどこかでは、作品の入れ替えや追加も予定しております。いま最も誠実かつ切実に、そして真正面から絵画と向き合う期待のペインターのデビューを、1人でも多くの方に目撃していただければ幸いです。

青野セクウォイア
Vital Beating

2018年11月1日(木) ‒ 12月1日(土)

[オープニングレセプション]
11月1日(木)18:00 ‒

[火 ‒ 土] 11:00 ‒ 19:00
[日・月] 休廊

彫刻家・青野セクウォイアによる個展「Vital Beating」を開催いたします。現在ニューヨークを拠点に活動を展開する青野は、精緻な写実的表現を可能にする高い彫刻技術や、石材・木材・金属など幅広い素材を柔軟に扱った作品群、あるいは燃やす・切断するといった実験的アプローチを加えた木彫作品などによって注目を集めています。欧米を中心に巨大な野外彫刻のコミッションワークも多数手がけるなど高い評価を受け始めている青野ですが、日本での個展は今回が初となります。

本展の軸となる青野の最新作《Sculpture of Liberty》には、彼がおよそ10年間保管してきた黒大理石が使われています。昨年から今年にかけて青野はこの大理石を切り出し、丹念に掘り、磨き上げ、等身大の精巧なセルフポートレイト像を生み出しました。そしてこれから青野は最後の“仕上げ”としてこの立像を倒し、地面と衝突させることによって破壊するという手を加えます。展覧会ではバラバラ になった像そのものと、倒壊の瞬間を収めた映像などが展示される予定です。

破壊という手段によって彫刻を完成させる行為は、一見ネガティヴなもの・破滅的なものに映るかもしれません。しかし常日頃から石 材や木材を掘り続けている青野は、自然の力によって生み出された素材たちに人工的な手を加えていく「彫刻」という行為も “破壊” であることに変わりはないと語ります。むしろ地面と衝突させる=重力を利用する、という工程は、自然の摂理を作品に取り入れることでもあり、青野にとっては彫刻という人為的な “破壊” から遠ざかるための手段でもあります。

このようなプロセスを経て展示される今作は、私たちを様々な新しい視座へ導くでしょう。倒壊によって出現する彫像の割断面は、作 家自身にすら予想不可能な造形を宿し、この立像の鑑賞者に対しても未知の視点をもたらします。今作における破壊は、終焉や完結 を意味するものではなく、彫刻に生命を吹き込み、新たな創造へと向かうためのスタートラインとでもいうべきもの。ひいてはそれらが 彫刻芸術一般の本質や視覚に対する新しい問いかけや照射となることを、青野は目指しています。あるいは彼が今回の制作のきっか けとして挙げるメトロポリタン美術館所蔵の《Fragment of a Queen’s Face》のように、文化財の継承や作品の完全性・歴史性といっ た命題を想起させる側面をも有するかもしれません。そして現在も絶え間ない災害にさらされている日本という国や、日本とアメリカの血を引く自身のアイデンティティといった事柄もまた、今作に至るまでの青野の制作に通底するテーマとして存在しています。

高度な職人的彫刻技術と、そこから果断に両手を離すかのような実験的挑戦によって訪れる創造の瞬間を、ぜひ多くの方に目撃いただければ幸いです。

***

10年ほど前になるだろうか。メトロポリタン美術館で《Fragment of a Queen’s Face(女王頭像断片)》という彫刻を観た。

紀元前1352~1336年頃のエジプトで作られたとされるこの女王の頭像は、頭部の大半を失い、現在は口元と顎だけが残っている。ガラスのように シャープに裂かれた大きな断面。魅惑的な黄色い石は、その硬さをも物語っていた。“割れ”た断面は、ある種の生命感や素材の素顔を露わにして いる。その無垢で自然な石の表情と、彫り師によって彫刻された人為的な表層との鬩ぎ合いが、互いを引き立て合っている。そしてその大きな“欠落 ”は見る側の想像をかきたて、論議を呼び、いつの時代にも人々を魅了し続けてきた。この彫像が壊れることなく完全体であったなら、失われた部分に対する片想いのような異常なもどかしさを感じることもなく、私の目にもただただ貴重な文化財の一つとして映っていただろう。

私は大学で彫刻を始めて以来、自然の素材の美しさと、カーヴィングの本質に魅せられ制作活動をしている。しかし同時に、もともと美しい天然素材を相手にカーヴィングという名の“壊す”行為で作品を完成させていく矛盾や難しさとも日々奮闘している。

この《Fragment of a Queen’s Face》との出会いから、人為的な創作には越えられない限界があるのではという想いが次第に強まり、完成される間際に人為の及ばない偶然性を加えられないだろうかと、木彫を焼く・切断するといった研究も多々おこなってきた。身近な参考例でいえば、焼き物の高熱処理によって生まれる予測しきれない色や輝き、陶器の形状を変化させる「焼き締め」、釉薬を定着させるための工程などが挙げられる。

壊れてもなお美しさを残し、謎めいてゆく文化財。歴史や時間、あるいは事故といった要因によって生み出されたものであっても、何らかの力が魅惑的な造形物の最終形態をとどめたのだとすれば、高熱で焼き人智の及ばない工程を経て完成される焼き物とそう変わらない、とも解釈できるのではなかろうか。

私は無からの創造ではなく、時代や文明を超えた魅惑や美しさを形成するいくつもの条件や要素を割り出し、そのいくつかに着眼し、私なりに現代に生み出す新しいアートにとり入れたいと考える。

地震大国であり、また広島・長崎・福島での被曝も含めこ れまでに多くの災害に遭い、様々な試練を強いられてき た日本…“破壊と創造”は特に日本人にとっては実は代々 身近なことなのかもしれない。ここ数年アメリカを拠点に している私だが、この東京での展覧会を機に、彫刻を通し て、“日本人とは”もしくは“私とは”を改めて模索すると同 時に、未知あるいは異種なる世界へと観る人々をいざないたい。

青野セクウォイア

ヴィレ・アンデション
I CAN’T GO ON. I WILL GO ON.

2018年9月28日(金)‒10月27日(土)

[火 ‒ 土] 11:00 ‒ 19:00
[日・月・祝] 休廊

 

[オープニングレセプション]
9月28日(金)18:00 ‒

[アーティストトーク]
9月28日(金)19:00 ‒

 

“燃えさかる太陽と全てを吹き飛ばす嵐の只中、砂漠にもわずかな植物が存在した。その小さな花々は儚くとも、
純粋で絶対的な生命そのものだった。” -ヴィレ・アンデション

昨年、アメリカ・ニューメキシコ州の砂漠でアンデションが撮影した一枚の写真がこの展覧会の出発点となりました。“ホワイトサンズ” 砂漠は、地球に近い小惑星を観測する”リンカーン地球近傍小惑星探査(=LINEAR)” の拠点であり、1945年に人類史上初めての核実験が行われた場所でもあります。時間や場所の感覚を失わせる真白な砂の光景は、アンデションにとって、空白がもたらす”不在”そのものについてだけではなく、過去に存在したものや、未来に存在しうるものについての思慮を促すものでした。 そのアイデアは、幾度も日本を訪れた作家が影響を受けたという”細部への意識” や”間” といった概念を取り込み、 そしてニューヨークの The Watermill Center でのレジデンスを経てブラッシュアップされ、本展の東京での開催に至ります。

展覧会を構成するモノクロームの風景イメージは、まるで記憶の中から再現され、作家の手にかかることで消失を免れているかのようです。もう一方の構成要素である人体と顔は、アンデションが「デジタルスカルプチャー」と呼ぶ手法、つまり平面に出力された 3Dモデリングソフトによる仮想空間での彫刻、そしてインクと鉛筆によるドローイングによって描き出されます。性別のない、しなやかな身体は激しく動いているようで、同時に静止しているようにも見えます。アンデションの作品は動と静、具象と抽象、有機と無機のあいだを行き来します。 そして繊細なニュアンスや抑えた色彩、存在の儚さ、 疎外感など、様々な要素を組み合わせ、相互にリンクさせます。

展覧会タイトルはノーベル賞作家サミュエル・ベケットの小説 “Unnamable” (邦訳:名づけえぬもの) の最後の 一節 “you must go on, I can’t go on, I’ll go on.” (つづけなくちゃいけない、つづけることはできない、つづけよう) から採られました。アンディションによれば、このマントラのような句は悲劇的であると同時に喜劇的な状況をあらわしています。ベケットの作品では主体と客体の境界線が消失し、存在の同一性が否定されますが、その引用は、かつてなく流動的で多元的な現代社会を生きる人間の姿を暗示しているかのようです。

 

ヴィレ・アンデション
1986 年 フィンランド ロヴィサ生まれ。ヘルシンキ在住。2012 年フィンランド芸術アカデミー修了。2015 年、フィンラ ンドの若手芸術家に贈られる最高賞 Young Artist of the Year を受賞した。アンデションの作品は、多様なメディアと方 法論により制作され、美術史と現代社会の問題の双方に接続する。EMMA-Espoo Museum of Modern Art( フィンランド , エスポー ) や国立新美術館 ( 東京 ), Vitraria Glass + A Museum(ヴェネチア )、Museum Weserburg( ドイツ , ブレーメ ン )、The Centre for Photography( スウェーデン , ストックホルム )、FOMU-Foto Museum( ベルギー , アントワープ ) 等で展示。2018 年には The Watermill Center( アメリカ , ニューヨーク ) のレジデンスアーティストに選ばれた。近年の プロジェクトにはフィンランド郵便公社の切手、テーブルウエアのデザイン、舞台美術や公共施設のアートディレクションな ど も 含 ま れ る。ア ン デ シ ョ ン の 作 品 は、Kiasma Museum of Contemporary Art、Saastamoinen Foundation Art Collection、Amos Anderson Art Museum など、いくつかのパブリックコレクションに収蔵されている。

Triadic Surfaces
安部悠介・影山萌子・渡辺佑基

2018年8月3日(金) ‒ 8月25日(土)

[オープニングレセプション]
8月3日(金)18:00 ‒

[火 ‒ 土] 11:00 ‒ 19:00
[日・月] 休廊

安部悠介・影山萌子・渡辺佑基によるグループ展「Triadic Surfaces」を開催いたします。20~30代の若手ペインターである三者ですが、作品にはそれぞれの目指す世界と独自の造形の萌芽が既にはっきりと現れています。

安部悠介の絵画に頻繁に登場するのは、架空のモンスターや巨大な迷路、幼少期に親しんだ昆虫や魚釣りといった一見チャイルディッシュなモティーフたちです。彼が好むテレビゲームやカードゲーム、自然豊かな山形で過ごした少年時代の記憶、あるいはサブカルチャー的な領域への視線、といった具体的要素もそこには少なからず含まれているでしょう。しかしそれらの融合によって安部が真に追求しているのは、絵画の中にのみ根付きうる、名状しがたい未知の世界とでもいうべきものです。近年の作品では描かれる像の抽象性が高まり、通常の絵画制作では扱われないような素材を含めた多彩なマテリアルが掛け合わせられることで、複数の異次元世界の断面が積層したかのような異様な画面が形成されています。ストイックかつ実験的な制作によって生み出される強力な作品群からは、既存の絵画やアートに対する問題提起も窺えるでしょう。

影山萌子の作品にみられる正統的な油彩技法や、一見してそれとわかるイマジネイティヴな絵画世界は、幻想や超現実といった言葉で捉えられてきた近現代美術の系譜を連想させることが多いかもしれません。しかし影山の制作の発端にあるのは多くの場合、自らが実際に接した身近な事物です。 たとえば彼女が抱く重要なテーマの1つには、現代の都市開発とそれによって掘り返され急造されていく街や建物の歪さが挙げられます。彼女はそのテーマを、設置された場所に馴染んでいない奇妙なモニュメントや、謎の生命体のようなモティーフに仮託して描いてきました。近作ではそれらの存在感を保ちつつ、空間や状況の設定を操作することで、一見歪な主題たちにポジティヴな意味を与えていくといった試みも行っています。彼女の実感によって結ばれてきた現代社会の暗喩としての風変わりな像たちは、絵画世界の中で自律性を強め、より複層的な文脈を持ち始めているようです。

渡辺佑基が制作において常に意識しているのは、物質の表面が持つ質感です。彼の作品の多くは、日用品や玩具、人体の一部などのさまざまな物質の質感を丹念に描写するとともに、時にはその物質の形状に切り抜いたシェイプド・キャンバスを用いるといったフォーマリズム的構成を施すことによ って成立しています。そこには単なる写実性のみならず、何らかの質感を構成し絵画化することによって発生する新しい視覚への挑戦があります。渡辺は「物質の表面を構成していくことによって生まれる、平面でも空間でもない空白地点のようなところに新しい何かが広がっている気がする」とも語りますが、計画的な制作と工芸的ともいえる精緻で滑らかな仕上がりの裏で誘起される、異空間に接続されるようなパースペクティヴは彼の作品の大きな魅力といえるでしょう。

全く毛色の異なる三者ですが、一見ポップで親しみやすい表層の背後に形容し難い批評性や形而上的な気配を漂わせている点では共通しているか もしれません。本展が3人の清新なポテンシャルとモチヴェーションに触れていただける機会となれば幸いです。

幸田千依
より道の灯

2018年6月22日(金)‒ 7月28日(土)

[火 ‒ 土] 11:00 ‒ 19:00
[日・月・祝] 休廊

 

[オープニングレセプション]
6月22日(金)18:00 ‒
*19:00頃より 53235 氏による弾き語りライブを開催いたします。

一人歩く道すがら ふと 景色に見つめられていることに気がつき 立ち止まってしまう時がある
自分のこれまでと 今 目のまえが邂逅し 景色と目が合う瞬間だ
その時私は 景色 と呼ぶものの中にある全てが そこに「すでにあった」こと と
それを知覚する「自分がいたこと」の両方を強烈に意識する
景色と見つめ合いながら 視点は大きく伸び縮み 境目にある皮膚に鳥肌が立つ
ふつふつ力が湧くような 目が離せなくなるような 大いなる肯定の感覚に打たれる
高揚した意識は目を輝かせて 広がる景色をさらにはっきりくっきり確かめる

起こるまでは予測不能なようでいて 後々振り返ると いちいちピタリと合致 もする
自分と アラウンド ザ 自分以外のものの作用
すべてが絶えず動いて明滅する星のようで それぞれの軌道 その無数の交差の中 意識と景色は引き合っているように思う
それが どうも二つの目のあたりで不意に 出会うように思う
全てひっくるめた感覚を 状態を 目に焼き付け 覚えていたい そこに否定は有り得ない
そのシーンはいつまでも消えず 周囲も自分も見えない暗闇の途中にも 確かな灯りになるはずだから 星を動かすものだから

それを絵にする遅さは現実だが それでも出来うる限り描き
毎度毎度の事ながら 泣いたり笑ったりの中で 誰かの肩をつついて横に並び ほら、など言って束の間 その灯りを共にみたい
それぞれの道の途中 無数のより道でまた出会いたい

 

*

 

画家・幸田千依による個展「より道の灯」を開催いたします。国内外各地のレジデンスプログラムへの参加を軸にした活動や、2017年のVOCA賞受賞などでも注目を集めてきた幸田は、近年その制作のモードにさまざまな変化を見せています。

彼女の作品の特徴の1つに、多数の視点が1枚の絵画上で統合される点が挙げられます。幸田が描く景色や人物の多くは実際に彼女がその目に映してきたものですが、1つの画面上に1つの瞬間だけが描かれる、ということはあまりありません。たとえばかつてプール監視員のアルバイトを務めていた頃、長いあいだ彼女の網膜に焼き付いていたのは、水中を移動する群衆とそれに伴って発生する渦巻きの様子でした。彼女はそのモティーフをたびたび画中で取り上げてきましたが、それらの作品のいくつかにはその時々で記憶に残った山や森などの別の光景、あるいは政治デモやインターネットといった社会的要素が加えられています。異なる時空間に紐付いた複数の視点たちは、幸田の確かな実感のもとに合成されることで新しい美しさや奇妙さを湛え、絵画上にしか存在しえない “プール” の光景を私たちに提示してきました。

近年の幸田は、視点の複数性という特性を保ちながら、より広範な視野を絵画上で展開する傾向にあるといえます。太陽や空が支配する遠景、小さな家や道の密集=街並みからなる中景、そして自らの視座の存在を示すかのように草木が繁茂する近景。これらが1つの画面上で統合された作品群は、一見すると平穏な風景画のように見えるかもしれません。しかしこれらの作画過程で幸田は、単に印象深かった風景を組み合わせるのではなく、自らの視線、さらに言えば眼が動いていく際の個人の “癖” のようなものを自覚することを常に強く意識してきました。そしてそれは絵の描き方への自覚、加えて自らの人間性や思考、社会的な立ち位置の自覚へと敷衍されていきます。その上で幸田は、今見ることのできる景色のあらゆる要素に—良きものにも、好ましくないものにも—“なんらかの視線” を注ぐような制作を目指してきました。彼女の絵画の中では、遠景でも近景でも、全てのものに均質的な色と形のバランスが与えられています。ここで端的に示されているのは、自らの移ろう視点や自分を取り巻くあらゆる要素を画面上で調和させ、1つの光のもとで肯定する、という意志です。いわば画中の主役を明示しないその筆触の均質性は、鑑賞者に自分自身の視点で絵の中を歩き回ることを促し、絵画と対峙する自らの視座を自覚させる機能をも有しているでしょう。こうしたさまざまなインタラクティブな作用を経て、幸田の絵画はさらなる複層的な視点を獲得していきます。

本展では、これまで地方でのレジデンスを中心に活動してきた幸田にとっては珍しい「渋谷でのレジデンス」という経験と、そこで遭遇した “小さな夕方の冒険” をもとに生み出された1枚を含む最新作品群、そして現在に至る視野の変化が読み取れる過去作品群を同時に展覧いたします。印象派やキュビズム、あるいはシュルレアリスムといった近現代絵画の血脈を感じさせつつ、自らの現代的 / 現在的な “生” そのものを着実に絵画化していくかのような幸田千依のダイナミックな作品群をお楽しみください。